HONDAのAndroid アプリ, Web アプリ開発忘備録

このブログはHONDAがAndroidアプリの開発開始と同時に作成したもので忘備録として記しています。最近Web系に就職が決まったのでwebアプリも勉強していきます。

大学院を卒業しました。自分の学生時代の話。

3/24日(金曜日)に奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科の

修士課程を修了しました。

 

今思い返せば、自分の学生生活は本当に泥にまみれたようなものでした。

中学、高校、大学受験とすべて希望通りのところにいけずじまいでした。

中学受験がダメだったときはものすごく泣いた記憶があり、

高校受験がだめだったときからは、もう涙すら出ませんでした。

落ちるたびに自分の自己評価は低くなっていき、競争心も失い、

自分のために授業料を投資してくれる親に申し訳ないという

罪悪感でいっぱいでした。

 

高校は私立で親と指定の制服を買いに行った記憶は今でも鮮明に思い出せます。

何万円と大金を支払い、安っぽい制服やベルト、革靴など

目の前で買っている母親を見たとき、自分は大学こそは必ず国立・公立に行こうと

決めました。

 

高校は曲がりなりにも進学校で、無料で補習をやってくれる高校でした。

朝8時に奈良駅行きの電車にのって学校に行き、

夜の10時(2年次では9時)に自宅に帰るような泥臭い高校生生活を送っていました。

部活もいっさい行わず、母親の作ってくれる弁当で三年間過ごしました。

 

今の自分が形成されたと思うのは高校二年の秋だと思います。

ちょうど物理の先生が変わりました。

今でも覚えているのは、千葉大の滑車の問題を解いたときです。

 

あの人は覚えていないかもしれませんが

こういう問題はMathmaticaとかパソコンで一瞬で解ける。

でも一度は泥臭く自分で解いておきなさい。

そうおっしゃっていました。

我々初代物理組(勝手に命名)は1時間以上かけて拘束条件などを考えつつ、

数の多い連立方程式を解いた。

この経験から自分は「まずは自分の手で解いて確認してみる」という

学部、修士の研究の遂行の秘訣を体得したと思っている。

 

高校三年の時に、万有引力の問題、京都大学の粒子加速の問題を解いたときに、物理は泥臭いけど非常に面白い、というか解けると面白い。

ほかにも、うちの物理の先生がよく言ってたのは

ma=F. 力学の問題はこの一本の式(運動方程式)を覚えるだけで

すべて解けるようになっている。でも、我々は試験時間という非常にくだらないものに縛られているから公式を使う。

公式を使う前に導出して納得してから使いなさい。

 たった一本の運動方程式ですべての問題が解けてしまう、

それが「美しい」と感じてしまった。

 

物理の問題を解けば解くほど、理学科に行こうか悩みが生じた。

でもそこはさすが自分で、くいっぱぐれないだろうと情報を大学の選考にしようと決断するのであった。

 

そんなこんなでセンター試験に失敗

当時は大阪I立大学や、K都工芸S維大学とか考えていたが

身の程をわきまえなさいと数学の先生に一蹴されました。

大学に入ったときに捕まってしまったが、数学の先生には感謝している。

あの人のおかげで線形代数の基礎が身に付いたといっても過言ではない。
そして奈良先端科学技術大学院大学を受けようと思ったのもこの先生がいたおかげであると思っている。


僕の大学受験は前期試験では高知の私立から公立に変わった大学
(高知K科大学)を前期試験に受けたが、
公立に変わった初年度というのもあり、
情報収集もままならず(つまりどのレベルの人間が受けるか)

見事に落ちました。

数学の先生が物理室に入ってきて北見工業大学のパンフレット+願書を

落ち込んでいる僕の机の前に出して。

「もうここしかない、ここを受けなさい」

悩んでいる余裕はなく、僕のだした願書は北見工業大学後期試験の最後の応募者になったのであった。(受験番号は1151で最終番)

毎日のように黒板にカニをかかれて、闘志を奮い立たされ

3/12に関西大学北見工業大学の受験を行い、無事合格。

「母さん、僕北海道に行くから」と

なんでも自分の進路は自分で決めるようになっていったのだ。

そしてそれに反対もせずに受かった後一週間でアパートを決めて

引っ越しの手配をしてくれた親には感謝しかないのである。

 

無事に北見に受かった僕は、大学まで徒歩一分
12畳月家賃3.5万円のアパートに住むことになる。

高校からロックが好きで中古のギターを買い軽音部に入る。

そんな中、自分を北見に受験を促した数学の先生が捕まる。

こんなやつに俺は北に飛ばされたのかと勝手に憤慨し、

そして奈良に戻ろうと決意し、奈良先端科学技術大学院大学の受験を決意

 

当時大学三回生で、ニューラルネットワークでマリオを学習させるという
ニコニコの動画で機械学習にはまり、理論系の研究がしたいとふと思っている矢先に奈良先端科学技術大学院大学数理情報学研究室が見事にヒットする。

そしてその冬の25日に僕は今のボスのところへ研究室訪問を行う。

 

そこからの一年は自分にとって非常に密なものだったと思う。

伸び悩むTOEICを380点から620点まであげ、

いただいた研究テーマをもとに入試の小論文を考えたり、

僕の配属された研究室の先生に何度も添削していただいた。

面白いことに、自分の研究は物理で情報の問題を解くといったテーマで

本当に自分のやりたかったことが巡り巡ってかえってきたのかなと
今ではふと思うのである。

線形代数解析学などはよく人に教えていたことから、

奈良先端大の問題は非常に自分にマッチしていた。

 

そして自分は奈良先端に通うことになった。

 

この二年は本当に研究しかしてこなかった気がする。

どこにだしても恥ずかしくないくらい忙しい二年であったと思っている。

ゼミはすべて英語で、発表概要をA4で2枚にまとめる。

もちろん英語である。

体重もやせるやせるでこの二年で73→66kgまで減少した

なんどもやめたいやめたいと言っていたが結果的にはやめなかった。

なんだかんだいって結局「どうすれば解けるのだろうか」と

研究のことをずっと考えていたような気がするし、

まかせられた仕事はやりきる、という自分の残り少ないプライドが

僕を辞めさせなかったのである。

英語が苦手なら留学生に添削してもらえばいいと

留学生とはよくしゃべるようになるし、先輩にはいろいろ振り回されたが

学問的には輪講会などでお世話になった。

おかげで僕は今年に入って輪講会を主催することができた
(ほとんど自分でやっていたが)

 

自分のやっていた研究テーマのおかげで今の会社から会社訪問のメールをいただき

今年の四月からそこで働くことになる。

苦労した分がようやく報われているのであろう。

 

結果的に、修士の二年間で研究テーマ二個を遂行し、二つとも論文化が決まる。

ハワイで二か月留学も行い、九工大にてオーラル(黒歴史)
沖縄にてポスター発表、伊勢・沖縄で研究合宿、阪大病院で被験者体験

西Y和学院からの研究インターンの指導、駐車場委員会の運営など、
今振り返ればいろいろあったと思うがこれも仕事での糧になるであろう。

そんな感じで僕の学生生活に幕を閉じるのである。

 

今では悪くないんじゃない?とふと思うのです。

 

おわり